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<死穢について>
わが国は敗戦を経験し今日に至るまでそれはそれは大変な辛酸を
舐めてきました。あの焼け野原から現在のような復興を成し遂げよう
とは誰が考えていたことでしょう。それは、財閥解体、農地改革に
よる民主化の動きあったから出来たといっても過言ではないでしょう。
しかしながらその復興こそ米国の模倣によるプレハブじみた住宅や安い
まがい物製品の普及のせいに他ならない訳です。こうしたアメリカン・
イデオロギーが日本を始めアジア全域に、そのエントロピーが拡大し
始め森林資源や農業を壊滅状態へ押しやる時「アジアの死の宣告」が
なされ、それは同時に「アメリカの死」を意味するものとなるでしょう。
開発途上国の莫大な自然資源のほうが早く壊滅するという意味では重要で
あり、今のままでいくとそれは、簡単に開発という美名による文化の奇形化
を招来せしめ、やがて旧来から続いてきた労働文化は打ち捨てられ疎外され
無となることは至極簡単明瞭確実なことなのであります。
アメリカン・イデオロギーがアジア全土を蔽い、食い荒らし、もう行き場の
ないような飽和状態になった時、日本を始め、アジア全土は死に絶える運命
なのです。何もかも白いペンキで塗った白い家、無機的なこれらの家々などは、
一代限りの冷たい欧米の死穢を象徴しているかのように私には見えます。日本
はそれに満ち溢れています。
死穢、西洋、欧米における生と死。そんなものまで輸入しなければならなかった
日本を悲劇的だと感じます。アメリカにおける「死の概念」は、一言で言うと
「孤独」ということです。それは、自由の国アメリカの「最もありふれた病」
なのです。音楽で言うと「アメイジング・グレイス」やフォスターの音楽でさえも
その行き過ぎた「自由主義経済」の「病」を根底に抱え込んでいると私には見て
取れます。
東洋のアメリカ=現日本におけるあの「冷たい透明な死を宣告するアメリカと
渾然一体となった死」あべこべにひっくり返ったわが日本の部落。とともに
これこそ死穢と呼ばずには何と呼びましょうか。
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